御嶽山の思い出
2014年 09月 30日
私は山登りをする訳ではございませんが山サイで低山を訪れてるもんでとても人ごととは思えません。自転車趣味以外の方でもアウトドア派の方にとって同じことでしょう。
今回のテレビ報道で数十年前に有史以来初の噴火があったというのを聞き、真っ先に思い出したのは1984年まで御嶽山南側王滝村にあった「濁川温泉」のことです。
その噴火の際に火砕流が押し寄せて埋没してものと思っていたのですが、今改めて調べてみるとその時の噴火の被害ではなく、1984年9月14日におきた長野県西部地震により御岳山8合目付近から山体崩壊が発生し土石流が温泉施設を飲み込み、経営者一家4人もろとも深さ50mの土中に埋没してしまったそうです。
以下、その地震の2年前の1982年(昭和57年)のことです
大学を卒業し家業従事2年目の頃です。6月9日から2泊3日で御嶽〜上高地をランドナーで一人で回ってきました。
8日の夜、大阪駅から「寝台急行ちくま」(私はもちろん寝台ではなく自由席)で早朝の中津川に降り立ち、付知渓谷から真弓峠を越え王滝村に入りました
この頃はツアーに出るたびに翌年の年賀状に使う写真を撮るために手持ちポスターを予め家で書いて持っていき行く先々で暑い時でも一応長袖、長ズボン(ジャージ)に着替えて少しでも季節感に違和感がないようにして写真を撮ってました。
このときボトルの水が無くなって早く人里に下りたいと切に思ってました
詳しい行程は覚えてませんが峠を越え王滝村に入り林道でニホンカモシカにも至近距離で逢いました
多分この林道なんか今の「SDA王滝100km」なんかで使われてるんじゃないんでしょうかね
やっと人里まで下りたところにあった食料品店でジュース(確か瓶入りだった)を数本ガブ飲みしたように思います
一休みした後、また林道を上がってその日の宿である濁川温泉に向かいました
当時愛読していた「ニューサイクリング誌」では『ランプのお宿』として有名なところで前々から訪れてみたいと思っていた所でした
ランプの宿ということで電気(非常用の発電施設はあったと思う)も電話もありませんでした。予約は中津川の本宅に電話でしました。
温泉はさらに谷底まで下った所にありました
温泉の温度は確か38℃で相当長く入ってないと温もりませんでした
当日の宿泊者は僕一人、夕食は囲炉裏端でランプの光の元で頂きました。
宿の主(息子さん)は僕より少し上の年齢の男前のお兄さんでした。
いろいろお話を聞かせてもらいました。
建物は黒光りする古い建物でそれを背景にSM?の撮影などもあったそうです
翌日は開田高原や野麦峠を越えて上高地に入りました
(2日目は何処に泊まったのか思い出せません)
当時の写真を探してネガをスキャンしたり、この文章を書いてたら色々思い出して胸が少し熱くなってしまいました
最後に改めてお世話になった濁川温泉のお兄さん(被害は奥様、お子さんの家族4人)、また今回御嶽で無念にも命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします
by masagoon | 2014-09-30 18:35 | 自転車(MTB系) | Comments(8)
ぼくは確か1年のラリーで自転車は、ふもとに置いて御嶽登山した覚えがあります。
何も分かってなくて山頂の寒さに驚いたのを覚えています。
前に行った鈴鹿の山があの時に噴火したらどないします?
もっともあの山にはカルスト台地があったぐらいやから火山ではなく
地殻変動で隆起した山やと思いますが
ほんま気をつけんとあきません
(気の付けようがありませんが)
ほんと自分の命は自分で護らんといけませんね
安易に登山に行けてしまう時代
山の掟とかをもっと勉強してそれから出かけるべきですね
masagoonさんもくれぐれもご安全に!
ウインドブレーカーもTシャツも懐かしいのですが
それにもまして紺色の縁取りのジョギングパンツ( *´艸`)
UCLAだったら最高です(*'▽')
大自然の猛威の前に到底太刀打ちできないのを大崩壊のニュースで思い知らされた感がしましたが、更に今回の噴火。
今まで自然の中で運良く遊ばしてもらっていたんですね。
当時ニューサイ見てたら「濁川温泉」と八ヶ岳夏沢峠下の「本沢温泉」は外せません。後輩達と3人で夏沢峠を目指しましたが私の自転車の後輪ハブ軸が折れたため峠は諦め本沢温泉からコース変更して帰ってきたことがありました。